『Being=在りたい自分』で生きていこう

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『Being』

聞いた事はあっても、あまり意味まで理解している単語ではないかもしれません。

僕もつい数年前までは、『Being』という単語は知ってはいましたが、その意味は特に知リませんでした。

それまでは、自分がどう生きていたいか、どんな人生を歩んでいきたいかは、なんとなく心に思っていたり、自分の気持ちに正直に生きてきましたが、ある時『Being』という言葉と意味に出会ってから、これまでの自分の生き方が言語化できるようになり、そのことがきっかけとなり、それこそ人生が変わった瞬間でもあります。

『Being』とは『在りたい自分』です。

どんな自分で在りたいのか

どんな人生を生きていきたいのか

おそらく、これまでの人生の中で一度は考えたことがあるのではないでしょうか?

そんな時、皆さんはどんな答えを出したでしょうか?

  • お金持ちになりたい
  • 海外旅行に行きたい
  • 偉くなりたい
  • 働かないで暮らしたい

僕もこんな事を考えたことはありますw

しかし、これらは実は『Being』ではなく『Doing』と言います。

どういうことかと言うと

Being→在りたい自分

ではなく

Doing→なりたい自分

になってしまっているのです。

『在りたい自分』と『なりたい自分』は一見似ているようで、実は全く違うのです。

例えば、『お金持ちになりたい』というのは、『ありたい』ではなく『なりたい』という行動の結果になります。

『Doing=なりたい自分』事自体が悪いことではありません。

それは時に、原動力であったり行動するためのエネルギーにもなります。

しかし、同時に終わりがきた時の喪失感も兼ね備えています。

例えば、『お金持ち』とはどういった状態を『お金持ち』というでしょうか?

手元に100万円がある時でしょうか?

1,000万円・1億円・10億円があったら、確かにその時は『お金持ち』かもしれません。

では、その手元のお金を使い切った時は『お金持ち』と言えるでしょうか?

では、あなたよりお金を持っている人がいたら、あなたは『お金持ちじゃなくなる』のでしょうか?

例えば、『偉くなりたい』のも、偉くなってどうしたいのでしょうか?

誰かに指示したり、敬われたいのでしょうか?

偉くなったあなたに上司がいたら、あなたは『偉くなくなってしまう』のでしょうか?

このように、『Doing=なりたい自分』で生きていこうとすると

必ずと言っていいほど、『何か』と比較することにより『終わり』という喪失感が生まれやすくなります。

そうではなく『Being=在りたい自分』で生きていけるとどうか?

自分の心のままに生きていけるので、そもそもの比較対象がなく

比べたり・正解不正解を求めたり・善悪を決めたり・判断することが無くなります。

これは自分の心の中に対して判断しないのであって、自分のBeingや”軸”と照らし合わせて、『これはやる』『これはやらない』と判断することはあります。

むしろ、『Being=在りたい自分』を常に意識できているからこそ、判断が迷わずに自分に正直に生きていけるのです。

逆を言えば、『Being=在りたい自分』を意識できていないと、迷ったり、判断や決断ができない事から、他人の意見だけで生きていくことにも繋がりかねません。

とはいえ、この『Being=在りたい自分』がそんな簡単に見つかれば苦労はしませんよね。

探し方・見つけ方は様々な方法があり、人によってたどり着くまでの道は一つだけではありません。

僕なりの考え方や具体的なアクションなどを、少しづつお伝えしていきながら

このブログを見て頂いている方の後押しになれたら嬉しいです!

それではまた!

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